特殊メイク 特殊造型工房ソイチウム・ever

特殊メイク 特殊造型の工房 ソイチウム                                                       サイトマップ

webmark5.jpg                          特殊メイクアップアーティスト梅沢壮一が 主宰する工房です。

2009.5.27

訪米〜仕事開始

 2年間勤めた映写技師の仕事をやめると、すぐにアメリカに行きました。日本で仕事を始める前に、
それまで手紙のやり取りをさせてもらっていたリックベイカー氏にどうしてもお会いしたかったのです。
普通では中々許可の下りない工房ですが、ちょうどその時LAを訪れる事になっていた江川さんになんとかお願いしてアポをとって頂き、そしてついに訪ねる事が出来ました。
 それまでスクリーンで観て来た様々な特殊メイク作品や造型物などで埋め尽くされた工房内を、神に
近い憧れを抱いていた方に案内してもらえるその時間は、余りの感激と緊張、驚きで埋もれてしまい、そこにいる実感さえ掴む事が出来ないものでした。
文字ではよく書きますが、実際に「夢のようなひと時」というものを体感したのは後にも先にもこの時だけです。
 日本に戻ってからは中々実際の仕事に就く事が出来ませんでした。ようやく最初の仕事をもらえたのは、帰国して半年後。それは当時江川さんが参加していた「遠き落日」という映画の現場要員として、メインスタッフのピエール須田氏のアシスタントに入るというものでした。
撮影は東北で、私はたった数日のお手伝いでしたが、それでも本物の映画撮影への参加、AGER(皺を作る為の液体ゴム)を使った老人メイクなど、初めて見るプロの世界に踏み込めたうれしさを感じました。大学生の頃からこの世界で仕事を始めていたピエール氏は、私と同い年でありながら既にキャリア5年の先輩でした。後に彼から教わった沢山の事は、今の自分の礎でもあります。
 そして同じくその撮影現場には辻一弘氏が参加していました。
辻氏は現在リックベイカー氏主宰の「CINOVATION」に勤め、’07年、’08年のアメリカアカデミー賞では、2年連続でメイクアップ賞にノミネートされた程の方です。
 東北の撮影現場の宿で辻氏に自分の作品集を見てもらった事がきっかけで、彼は既に関わりのあった
日本の特殊メイク、造型工房を私に紹介してくれ、更に仕事先が広がって行きました。




ever5/27

アトランタ、フロリダ、ロスアンゼルス、サンディエゴ、ラスベガスなどを回った約2ヶ月間。
写真は、現地で知り合ったバックパッカーの日本人と一緒に訪れた、メキシコ・ティファナで。



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2009.5.13

素人時代作品3

 素人時代、最後の作品です。以前にも紹介しました「SFX映画の世代」という特殊メイクのhow to本を参考に、ケーブルで表情を動かすメカニカルダミーに初めて挑戦したものです。
顔は粘土で造型し、フォームラバーにしました。苦労したのはFRP製のコアの部分で、当時電動工具を持っていなかった為、樹脂をカッターで切り、穴をキリで開けるという無茶なやり方で作り上げました。ケーブルは近所の自転車屋で売ってもらい、コントローラーは大工センター等で色んな物をかき集め、自分なりの形にしました。
この作品は売り込み用として最終的に電車で持ち運ぶ事を想定していたので、コントローラーも含め全てコンパクトに分解し、一応一つのカバンに収まるように計算してありました。


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            これを日活のメイクアップ・ディメンションズ等へ持って行き、
            当時メインスタッフだったピエール須田氏らの前で組み立てて
            動きを披露しました。





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2009.5.2

コンタクト


 小学1年生だった当時、映画館で見た「悪魔の赤ちゃん」の予告編は、目的の「バンビ」本編より遥かに強く私の記憶に焼き付きました。その後「エクソシスト」のリーガンに、「フューリー」の破裂する男に、「スキャナーズ」の血管に、「狼男アメリカン」のリアルな変身に、「アマデウス」の老化したサリエリなどに魅了され、自分もいつしかあんな事が出来るようになれたらと夢見ていたものです。
 これらの作品で特殊メイクを手がけたのが、ディック・スミス、リック・ベイカーというアメリカの巨匠達です。特にディック・スミスは今や「特殊メイク界の神様」とも呼ばれる大変偉大な方です。現代使われている多くの技術が氏によって開発され、そして彼はそれを惜しげもなく公表し後輩達の後押しをして来ました。リック・ベイカーは「エド・ウッド」や「ナッティ・プロフェッサー」など既にアカデミー賞を6回も受賞している、世界でトップと言っても過言ではない同じく偉大なアーティストです。
 私が映写技師として働きながら英語を学び、自宅で作品を作ってはせっせと写真を送っていた相手は主にこの二人でした。子供の頃から憧れていた遠い存在の人達から、実際に初めて返事をもらったときの喜びと興奮は今でも忘れられません。恐らく世界中から自分と同じような、或は遥かに優れたプロ達からアピール写真が送られて来る事は想像に難くなく、そんな中でまだ何も知らない異国の若者に毎回丁寧にアドバイスをくれていた労力には、今考えても尊敬と感謝の念を強く抱きます。
 私は素直に、そちらで弟子として働きたいという意思を伝えていました。しかし現実はやはりそんなに甘いものではありません。自分の中では毎回作り物のレベルが上がっていると感じていましたが、本国にもやる気と才能のある若者が沢山いる中で、わざわざ海を越えて呼ばれる程の存在になる為にはその程度の能力では到底無理だった訳です。そこでリックさんが「やはり先ずは日本でキャリアをスタートした方がいい」と、日活で工房を構えていた江川悦子さんを紹介してくれる事になりました。

ever2009/5 コンタクト

今でも宝物となっている手紙。